興隆寺の宝物
興隆寺本堂:宝物
興隆寺 由緒縁起
当山は「尾田山延壽院興隆寺(おたざんえんじゅいんこうりゅうじ)」といい、弘法大師空海上人を宗祖とし、高野山真言宗に所属しています。本山は和歌山の高野山にある総本山金剛峰寺です。
時は流れて、今より三九〇年あまり前、慶長二十年に、地元の豪族田中岩見の守家次(いえつぐ)は、当山の住職秀快(しゅうかい)上人を扶(たす)けて、寺を普光寺より現在あるところに移転し、伽藍を再建復興して、名称を「興隆寺」と改めました。
当山の本尊は薬師如来です。鎌倉時代の名僧恵心僧都と伝えられ、高さ六尺の坐像です。脇侍に日光菩薩・月光菩薩を祀(まつ)り、左右に十二の干支(えと)を頭上に飾るユニークな十二神将の像を従えています。薬師如来は、十二の誓願をおこして一切衆生の病・苦しみ・災いを除き、四百四病をいやしてくださる仏様です。また、本堂内には弘法大師坐像及び智恵の仏様の文殊(もんじゅ)菩薩、養蚕の仏様馬鳴(めみょう)菩薩、風邪の病を除いてくださる青面(しょうめん)金剛(庚申さん)をお祀りしています。
さらに、文永十年(西暦一二七三年)今より七三〇年あまり前、鎌倉時代に書かれた、手書きの大般若経六百巻(綾部市指定文化財)を所蔵している他、境内には、元和元年(西暦一六一五年)に岩見の守家次が寄進した梵鐘があり、四百年近く経た今日も尚、余韻嫋々(よいんじょうじょう)として鳴り響いています。
そして、当山は去る昭和三十三年に別所町の願成寺(がんじょうじ)と合併、志賀郷町、別所町両方の皆さんによって護持され、今日に至っています。
すべて手書きによって奉納された大般若経の各巻を全国各地から収集して揃え納め、また江戸期にはそれを全面的に補修した過程などを見ても、当山が昔から実に多くの檀家、信者の方々の献身的な努力によって支えられてきたことがわかります 。
- 尾田山延壽院興隆寺 -